この大橋と呼ばれる橋は、形こそ普通の橋と変わりませんが、
一般の橋とその成りたちの相違に注意していただかねばまりません。
その証拠に橋の下に流れる水が無いばかりか、地形のもっとも高い所にあって、
両側が谷になっています。
これは、天王橋(竹林院前)今は無く成った城橋(水分神社裏)とともに、
いわゆる吉野三橋のひとつで、元弘三年(1333)大塔宮護良親王が北条幕府方に対し、
吉野城にたてこもったときの空掘りに架かる橋なのです。
だからこれはただ単なる橋とは見ずに、むしろ橋の下の空間が、
昔のいくさの戦略的な意味があるとして、注目する必要が有る訳です。
もっとも大橋も自動車の通行が激しくなるにつれて、
昔ながらの木の橋がいたみがひどくなったので、
下の空間を埋めて鉄筋コンクリート造りとなり、
橋の反りによって往時のようすをしのぶに過ぎなく成りました
吉野町案内看板より
なんか不思議な橋です。
この先にある、吉野神宮に向かう道と七曲りに向かう道が分かれているところを
「 攻めが辻 」
と呼ぶそうです。
2017.05.21
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